管理人である老人は酷くいたたまれない表情であった。
表情からしてふざけているわけではないことはキルアにもわかった。
しかし伝説は以前からも人々に伝えられてきた話である。
何を今更とも言いたかったがどうやら何かがあったのだろう。
キルアはやけに小さく見えた老人に再び尋ねた。
「その話は前からあっただろ?それでもずっと営業してたじゃんかよ。なんで今になって中止するんだよ」
「今回ばかりは中止せざるをえなかったんじゃ。いつもは酔っ払いが河に飛び込んだだけだと聞いていたが…ボートごと消えたのだ。それだけではない。その後も次から次へと行方不明になってどうしようもなくなったんじゃ」
商売あがったりだと老人は呟いた。
残り僅かのボートもロープにぐるぐる巻きにされており、完全にやめるようだった。
仕方なくキルア達は諦めて近くにあったベンチに腰を下ろした。
たとえ伝説であろうと所詮作り話と思っていただけになんだか落ち着かぬ気分にされる。
もし河にそんなものがいるとするならばそれを放置しておいてもいいのかとも思う。
キルアは瓶に残っていた炭酸飲料を飲み干して瓶をゴミ箱に捨てた。
「キルア…」
「…納得いかねぇよな。人が死んでるのかどうかさえわからないんだぜ。行方不明ってなんだよ。本当に人魚が出たっていうのかよ」
「ハンターとしても…気にはなるがな。だが河に近付かなければ問題はないのではないか?もうあのご老人も営業はしないと言っていたし」
「なんか…気になるんだよね。ま、俺が気にしたところで解決するわけじゃないんだけどさ。残念」
せっかくここまで来たのにな、とキルアは言った。
空はこれほど快晴なのに心の内は晴れずにいた。
しかし河に行くこともできなくなった今、どうすることもできない。
落ち込んでいた様子のキルアにゴンは声をかけた。
「ねぇキルア!オレ、海行きたい!」
「ゴン…?」
「暑いしさ、ちょっと海で泳いで行こうよ。それから出発しても間に合うでしょ?」
「そうだな…そうするか」
つくづく思う。
俺はこいつに助けてもらってばかりだ、と。
キルアはさっきまでの重たい感情からは開放されていたことに気付く。
「(だから俺はゴンと一緒にいたいと思うんだろうな)」
ベンチから立ちあがってキルアは辺りを見渡す。
ここから近い海ならばこの河の下流に位置する海辺がある。
ホテルもあるのでもし時間が遅くなってしまったらそこで一泊すればいい。
ゴンの意見に他の二人も賛成し、キルアはバス停を見つけた。
「ここから歩くと時間かかるから乗って行こうぜ」
四人はバスに乗り海辺を目指した。
バスに乗っているとレオリオはハンター試験のことを思い出していた。
ゴンは一本杉を目指すのが近道だと教えてくれたにもかかわらず、自分は無視をしてバスに乗ってしまった。
そのことを話すとキルアは噴き出して腹を抱えて笑っていた。
懐かしい思い出話もずっと昔のことのようだと感じていた。
バスの運行中は窓が開いていたせいか仄かに潮の香りがしていた。
この国は住み心地がよさそうな国であった。
「よーし、着いたぜ」
「でっけぇなぁ…海はいいぜ。なんといっても──」
レオリオが視線を向ける先には水着を着た女性がちらほら見える。
「水着ギャルがいっぱい──ぐああぁっ?!」
「恥ずかしいことを大声で言うな!お前と一緒に行動するのがますます恥ずかしい!」
「だからって叩かなくてもいいじゃねぇか!はっ!クラピカ〜…実はお前も水着ギャルが見たくて仕方ないのをぐっと堪えて我慢しているんだな?!そーだろ!素直に認めろムッツリめ。ここは海岸だ、ビーチだ!水着ギャルを見るのもタダ──」
レオリオの雄叫びは再び響く。
どうしたらいいかわからずにいたゴンは困ったように苦笑いし、キルアは呆れて欠伸をしていた。
二人が揉めている間、ゴンは周囲を見ると釣り竿をレンタルできる小さな店があることに気付く。
とりあえず店の男に尋ねてみるとここで釣りができるとの話だった。
ゴンはキルアに釣りをしないかと誘ってみた。
「いいな!釣りか…ゴンは自前の釣り竿があるもんな」
「うん!せっかくだしやろうよ!ねぇー!!クラピカもレオリオもさー!!釣りやろうよー!!」
心の中でキルアはあんなの放っておけばいいと思っていた。
なんとか言い合いに終止符を打ったのかクラピカとレオリオも落ち着きを取り戻して竿をレンタルすることにした。
「俺は釣りの経験なんてねぇぞ?初心者じゃ無理なんじゃねぇのか」
「そんなことないよ!コツを掴めば簡単だよ!」
初めはなかなか釣れないもので糸を垂らすだけの待ちぼうけをくらっていたが、ある程度時間が経過したときには徐々に釣れるようになっていた。
しかしコツが一番わかっているからなのか、釣れた数が一番多かったのはやはりゴンだった。
この海で釣った魚を宿に持っていくと調理をしてくれるというサービスがあるらしい。
一同はせっかく釣った魚を賞味しようとその宿に持っていこうと考えた。
レオリオは僅かであるがじっくり釣りを楽しむことができ胸を躍らせていた、その時。
足首に何か掴まれたような感覚があり、その瞬間自分の視界が暗転した。
しかしレオリオの窮地に追い込まれた状況に気付く者はおらず三人は続けて会話をしていた。
「さすがゴンだよなー。釣りじゃ勝ち目はねぇのかな」
「キルアが餌を付けるのに時間かかりすぎてるのが悪いんだよ」
「うぇ…だってあんなキモチワルイの触るのも嫌だったんだぜ?よくできるよなぁ…」
「あんなの気持ち悪がるなんてキルアってば変なのー!あれ?…そういえばレオリオがいない」
「なに?あいつ…一体何をやっているのだ。私が見てこよう」
三人はレオリオが不在であることに漸く気付いた。
一番バケツの中の量が少なかったクラピカが来た道を戻り探索した。
すると砂浜に倒れている大きな男を発見する。
紛れもなくレオリオである。
しかしその横には──
「君は…?」
「……」
クラピカは自分の目の前にいる生体に釘付けになった。
というのもレオリオの側に寄り添っていたのは金髪の長い髪の少女。
そして深いアイランドブルーの瞳を持つ…人魚であった。
ほぼ平らに近い胸には貝殻の胸当てをされている。
足はなく尾びれである。
明らかに人間ではなかったのだ。
クラピカは人魚というものをこの目で見たことがなかったのでおそらく理解するまでには時間がかかったように思う。
とりあえず何から話せばよいのか。
倒れているレオリオとは何か関係があるのだろうか。
思考を巡らせているうちに人魚の方から声をかけてきた。
「あの…この方…溺れてしまいそうだったのです。私ではこの距離が限界なので…どうか陸まで移動させてあげて下さいませんか」
「あなたは…彼を助けてくれたんですか」
「…えぇ」
人魚は少し困ったような表情を見せて頷く。
まさかキルア達が言っていた人魚──ローレライが存在していたのか?
そしてクラピカは自分の目で確認することになろうとは微塵も思わなかった。
とりあえずこのままではレオリオが海水を飲んでしまうため、陸へと移動させた。
人魚は今も見つめている。
クラピカを見ているのではない。
その視線はレオリオに向けられている。
「あの…それじゃ…」
「待て!」
クラピカの声に応えることなく人魚は海の中へと消えていった。
今起きたことは夢なのだろうか?
もしかしたら現実ではないのかもしれない。
クラピカは自分の頬を抓ってみたが痛みだけが走り、やはり現実に起きていることだと悟る。
遅れてゴンとキルアもやってきた。
二人はじっくり見ることはできなかったようだが、彼女を見たようでやはり尾びれを確認したらしく人間でないことはわかったらしい。
「まさか…マジでいたっていうのかよ…」
「でもさぁ変じゃない?伝説ではローレライは歌を聞かせて人間を水の中に引きずり込むんでしょ?どうしてレオリオは助かったんだろう」
「確かに…ゴンの言うとおりだ。彼女がどうもレオリオを助けたようなのだ。自分ではここまでしか──陸にあげられない…と」
三人が考えているとレオリオが噎せて海水を吐き出した。
どうやらもう少しで本当に溺れそうになっていたらしい。
落ち着いてからクラピカはレオリオに人魚のことを尋ねてみた。
「お前は一体どうしたのだ。何故溺れたりするんだ」
「げほっ…んなこたぁわかんねぇよ…ゲホゲホォ…あー、死ぬかと思ったぜ。なんだかわかんねぇけど突然俺の足首を掴んだ奴がいてよぉ…んで気付いたら海ン中だ。溺れそうになってヤベェと思ったら」
いつの間にかお前らがいた、とレオリオは言った。
どうも彼の中では途中で記憶を失っているらしく、溺れたところを助けたのはクラピカ達だと思い込んでいるらしい。
記憶がないのでは真相はわからない。
だが明らかに人魚がいたのは事実であった。
三人が目撃したのだから。
だとすればローレライ伝説は真実であるといえる。
しかし謎は深まるばかりだ。
何故レオリオは助かったのか。
そして本来河に現れるはずの人魚が海岸にいるということも謎である。
クラピカはぽつりと消えるような声で言った。
「あれは本当に…ローレライなのか?」